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2017/03/15 (Wed) 21:33
【イトーヨーカドー武蔵小杉駅前店 西川店長インタビュー】(その2)

「全力でフロンターレを応援し、アンテナになって地域に拡がっていくお店に(後編)」

[インタビュー・文・写真 金野 典彦]

前編から続く)

■「フロサポあんのパンまつり」開催!

いろんなことをやるうちに、サポーターとの距離が縮まってきて、個々の選手のこともだんだんわかって来た昨年の11月、小林悠選手が他チームからのオファーを受けて移籍するかもしれない話が出て、大久保嘉人選手(現・FC東京)の移籍も決定と言われる中、小林選手まで移籍してしまったらフロンターレはどうなっちゃうんだろうと心配していました。そのなかで小林選手が“残留宣言”した晩の彼のブログを読んで、非常に心を動かされました。残留を決めた理由のひとつにサポーターの存在を上げていて、サポーターの声に耳を傾ける選手がいることに感動を覚えました。いくらサポーターだと言っても給料出してくれる訳じゃないし、高額のオファーを蹴って残留だなんて、そんなの普通あり得ないと。

以前から、「悠さまにあやかって、あんぱん置いてくださいよ」というサポーターの声を聞いていたので、「タイミングは今しかない」と、ショップであんぱんを売ることを決断し、翌朝すぐ動き、午前中の早いうちにあんぱんをショップに並べました。それをツイートすると、あるサポーターの方が作っていたハッシュタグ「#フロサポあんのパンまつり」を使わせてもらったのが上手く効いたのか、結構な量を準備したにも関わらず、あっという間にショップに準備したあんぱんは売り切れとなり、地下の食品売場のあんぱん全部を持って来て補充しても、完売になってしまったんです。翌日分の通常発注はもう終わっていたので、慌ててパンメーカーさんに直接お願いして大量に追加したのですが、その補充が入った翌日も完売となってしまい、いったいどれだけ発注するのが適正数量が分からなくなりました。

ph4.jpg種類も量も半端ではないあんぱんが並ぶ

以降、お店に引きも切らずサポーターが訪れるため、フロンターレサポーターってすごいなと思うようになり、サポーターの熱にほだされ、自分もこのショップ運営の仕事にどんどん情熱を注ぐようになっていきました。

11月に行ったチャンピオンシップ(CS)の応援セールも、実は8月頃から準備をして来ました。サポーターは中原区だけでなく川崎市の他の区にも多くいてこの武蔵小杉駅前店だけでは足りないと判断して、川崎の他の店舗も巻き込もんでやることにし、実際、市内5店舗の共同企画というかたちでのセールを行うことができました。このセールでもお店とサポーターとの距離を詰めることができたのではないかと思います。

ph5.jpg CS応援セール時には入口に大きな横断幕が掲げられた

■早い段階での結果が必要な理由

 ――ショップ導入にしても、”あんぱん祭り”開催にしても、西川店長は、決断から行動までがとても速いと思います。意識的にそうしているのでしょうか?

いちばんの理由は、一般的に店長の任期はとても短く、長くても3年くらいだからです。たった3年の任期の中で、やり方が地域に溶け込んで浸透するのをじっくりのんびりやっていたら、かたちが出来上がった頃に違う人が来て全然違うことになってしまう。そのサイクルじゃ地域に根付くことはできません。今回フロンターレと様々なことをやれるようになれたけど、この関係をもっと深くしておかないといけない。私が異動になって次の人が来たとき、フロンターレとの仕事はマニュアルがある訳でもなく正直手間がかかるので、踏襲するのが面倒で余分な作業と思えちゃうと、極端な話、やらずになくなっちゃうことだってあるかもしれません。でもある程度の売上のベースがあり、サポーターの支持も頂きながらやってきたことをやめるマイナスの大きさがわかれば、やめる人は絶対いないと思うんです。だから、まずは結果を早い段階で出す必要があり、そのために、自分はスピード感を持って仕事をし、部下にも同じことを口を酸っぱくして言い続けて来ています。

これは積み重ねで、一朝一夕にはできず、自分が深く入り込まずしてできることじゃないです。自分が全部動いて知った上で部下に指示をするのと、表層だけの知識で指示するのとでは全然違いますよね。今、このお店で私以上にフロンターレを語れる人間はいないと断言できる程、ここで自分はフロンターレに深く入れ込んでやって来ました。店長がそこまでやっているのに浅い仕事をやったら一発で見抜かれますから、必然的に部下も一生懸命にやるようになります。だから今は、ショップに関わるスタッフみんながフロンターレに興味を持っていろいろ考えるようになり、自分からこういうことをやったらどうかという提案もするようになって来ました。例えば、マスコット総選挙のときのカブレラ来場に合わせて、お菓子の担当から歌舞伎揚はどうでしょう、青果担当者から蕪のプランターセットやってみたいですと、現場からどんどんアイデアが出て来るようになったのです。そうなったら、自分は舵取りをしっかりすればいいだけで、今、そういう状況にまで持って来ることができました。

■ “普通”じゃないフロンターレサポーター

――フロンターレにどっぷり浸ってやって来て、どんな発見がありましたか?特にサポーターについてどう感じていらっしゃるでしょうか?

非常にノリがいいというか、言葉は悪いけどくだらないことでも本気になれる熱さ・スピリットを持っているところは凄いな、いいなと思います。実際小林選手の残留に感謝してあんぱんをいっぱい買ったって、選手にその意味が伝わるかは分からないし(※その後サポーターの有志が麻生グランドでこの“まつり”を直接伝えてくれ、小林選手の1/16の来店に繋がりました)、賞味期限が近付き割引セールしているあんぱんを、「売れ残って廃棄になる前に救出せよ!」なんて情報がツイッター上で回ってサポーターが買いに走り、ホントに完売させちゃうなんて普通は考えられないですよ。

あとはマナーの良さですかね。1/1の天皇杯決勝時に武蔵小杉駅前のコアパークでパブリックビューイングをやったとき、お店のトイレを無償提供しました。普通ああいうイベントのときのトイレって、すごい状態になるんですよ。例えばコンサート会場が近い他のヨーカドーの店舗でコンサートがあった日なんかは、トイレが散々な状況になってしまいます。今回もそれを想定して、清掃スタッフも用意していたのですが、終了後、トイレは全然汚れていませんでした。そのあと会場に行ったら、ゴミも全然落ちていない。来たサポーターは、スタッフの人が片付けることをわかっているから汚さないように気を配ったのだなと思い、すごくクラブと近いところにいる人たちなんだなということがわかりました。ゴミの後始末まで考えてくれるとは、普通の“お客様”とは違う、温かさといったようなものを感じました。サポーターなのに、クラブスタッフみたいな感じと言えばいいのか。他とはたぶん違うんだろうなって。

■他の地域で同じようにはしない

これから私が異動した地域にJリーグのクラブがあったとして、フロンターレと同じように組むかというと、たぶん組まないと思います。おそらくですがこんなに特異なチームは他にはなく、クラブ、サポーター、更には行政まで、すべてが良好な関係を保っているというのは相当レアなケースでしょうから。

私には、川崎フロンターレという会社があって、選手がいて、スタッフがいて、サポーターも同じ組織の中の一員という風に見えてしまうんです。私は全国10か所以上の地域で仕事をしてその地域を見て来ましたが、川崎の街は、フロンターレというチームを中心に回っているような気がするんですね。だから、一緒に仕事をすることで当店のオリジナリティーとなり地域に近づける。頼りにできる相手として、必然的にフロンターレを選んだと言えると思います。この関係が続けば、ウチのお店も、もっともっとお客様に支持される店になれるんじゃないかと思っています。

■深夜のリプライ返しは…

――ところで店長、寝てますか?

いや…(苦笑)。ショップの仕掛けは一朝一夕にはできず、ある程度先のことまで自分で考えて具現化しておかないと部下には話せないので。それを実現させるためには、正直なところ、寝ている時間が勿体ないのです。1~2週間に一度は完全オフの日があるので、そこで集中的に寝ていますが。

――店長は、たまに深夜にサポーターのツイートにリプライを返していますが、あれはやはり全部のツイートに対して…

返してます。

――やっぱり。あれホントに深夜ですよね。店長の体を気遣うサポーターが「#店長寝ろ」のハッシュタグを付けてツイートしているのを見ました。

全ての人に直接お会いできればいいのですが、ツイッターによってお会いできない方とも繋がれて、ウチの店に対するご意見を頂いているのに、私がそれに対して返さない訳にはいかないです。本当は私あてじゃないものも拾いたいくらいですが、正直深夜のリプ返しは、さすがに途中で力尽きちゃうときもありますので…。

ツイッターだけじゃなく、店頭でお客様にいろいろなことを言って頂けるというのはすごく嬉しいことで、ヨーカドー店頭の意見箱に頂く投書には誹謗中傷的なものも多いのですが、ここではお客さん、特にサポーターの皆さんが建設的な意見を言ってくれるので、私の今の仕事はそれをしっかり受け止め、どう具現化するかを考え、実行するだけです。

■規格外のことをやると…

――当たり前ですが、店長はフロンターレショップだけを見てる訳でなく、武蔵小杉駅前店全体を統括する立場にいる訳ですが、店長がこのお店でやってきたことは、会社の本部ではどのように評価されているのでしょうか?

私の立ち位置は、本部からするとすごく微妙なんです。本部からすれば、いちばん理想的なのは、本部が決めたものをそのまま売ることです。それがこの地域に合っていればそうしますが、違うと思ったらそのままではやりません。今回のフロンターレのこともそうですが、規格外のことを結構やってしまっているので、そのあたりをどう見られているかというと….なかなか理解されず、ちょっと難しい立ち位置ではありますね。わかって下さる方もいますが。

――“非常識”なことをやると、“敵”が多くなっちゃいますよね。

むしろ敵の方が多いくらいです(苦笑)。またか、みたいな感じで。

■「お客様は、お店には来てくれないものだと考えろ」

私の副店長時代、そのときの店長の方に、ヨーカドー創業時の精神的なことをよく聞いていたのですが、いちばん心に響いたのは、「お客様というのは、お店には来てくれないものだと考えろ」ということなんです。ヨーカドーは創業時は小さな雑貨用品店で、お店を開いてもお客さんは来てくれなかったそうで、それとフロンターレショップを重ねていました。ここも最初の頃はお客様は全然来なかったので、来てくれるようにするにはどうしたらいいかということを考えながらやることが、自分の中でずっと根底にありました。その問いを立て、考え、動き続けたからこそ、サポーターに親しんでもらえるこの距離感も生まれたのだと思います。

■無くなったら困るという店にしたい

――イレギュラーなことをやっているので、随分手間がかかっていますよね。

ひと手間ふた手間どころか、三手間くらいかかっちゃうのは確かですね。生産性を上げ、ローコストオペレーションで人手間をかけずに回すシステムが求められる中、私がやろうとしているのは、人手間がかかるようなことばかりなので、本部からは支持されないことは多いです。だから、結果を出す必要があるのです。このお店が無くなっても、地域の人が困ることはないでしょう。代替店はいっぱいありますから。だから私は、ここをこの店が無くなってしまったら困るという店にしなければならないのです。そのためにはある程度の業績が必要で、最低限の利益だって確保しなければならないので、それを残すためには全力でやりますよ。

――ここに来る前に店長をされていた群馬県の藤岡店が、先日(1/29)、閉店になってしまいました。そのときの店長のツイッターを見ましたが、本当につらそうにされていたのが印象的でした。

あれは本当につらかったです。お店が無くなってしまうというのは、お客様もそうですし、取引先、従業員と、お店に関わったあの地域の方皆が失ってしまうものがある訳で、それを考えたら、自分があそこでもっとやれることがあったのでは?と残念で仕方がありません。

ここ武蔵小杉は確かに、今もなお人口が増えている地域です。でも恵まれた環境にこのまま胡坐をかいていたらお客様の支持を得られないし、来店客数は下がります。ここだっていつ閉店になるかわからない環境にあることは変わらないと思いますし、ここでしか働けない人もいるので、絶対に閉店はしちゃいけない。だから、全力でその土台つくりをして、この店でできることをやり切りたいのです。

ph6.jpgお店の北側,、JR南武線寄りは再開発のため通行止になっている

■自然にサポーターが寄り、地域に広がるアンテナのようなお店に

――これからのことを伺います。“あんぱん祭り”もシーズン2まで終わり、既に次の企画も仕込んでいるのだと思います。ああいう催事的なことは面白いのですが、本来であればサポーターがイベントのときだけ来るのではなく、日々寄ってくれる方がお店としてはいいはずで、そうなることを目指しているのだと思います。そのためにどんなことをやっていこうとお考えでしょうか?

まずは、自分がもっとフロンターレを好きになること、フロンターレの中に入って行くことです。仮に私が異動してしまっても、ずっと私がフロンターレを好きでいるというスタイルで仕事も生活もしていくことが、自分にとって重要なことだと思っています。

自分はサポーターと接するのに、物販をメインにしちゃいけないと思ってやって来ました。もちろんお店の商品を買って頂きたいですが、それを自然の流れでできるようなかたちをつくりたい。私が直接買って下さいとお願いをしたら、サポーターの幾人かはおそらく買ってくれるでしょう。でもそれじゃ駄目で、例えばリンゴを買って欲しいのだったら、「リンゴを買って下さい」とお願いするのではなく、リンゴを美味しく見せるやり方を工夫し、面白いね!と思ってもらえるような商品を増やし、売り方を工夫していくことが必要だと思っています。押し売りじゃなくて、自然に買って頂けるような環境づくりですね。

また、フロンターレが優勝できるようお店を挙げて全力で応援することで、お店がアンテナになってもっともっと地域に拡がっていくようになりたいです。CSの必勝セールのときに店頭に横断幕を掲げ、スタッフみんなが青のTシャツを着たというのは、結構周囲に影響を与えることができたと思うので、ああいったかたちの情報発信をこれからも続けていこうと思います。ショップに来るサポーターの方で、最初はちょっと興味があるくらいのだったのが熱心に応援するようになった方もいらっしゃいますから、ヨーカドーがあれだけやっているのだからウチもやろうよ、と思ってもらえるような店にしたいですね。

 ――“あんぱん祭り”は、新丸子のサポートショップにも波及しましたよね。大手流通のお店と地域の商店街が一緒になって盛り上げるなんて聞いたことなかったです。

これだけ人口も多いし、この地域はもっともっとできると思います。全国チェーンとか地域の商店だとか関係なく、壁みたいなものは取っ払って、もっと一緒に盛り上げていく関係を創れたらいいと思っています。そもそもこの地域で昔から商売をしているのは地域の商店で、我々が学ぶべきことはとても多いです。

ph7.jpg
新丸子の3店舗も合同で“あんぱん祭り”を展開

重ねて言うなら、地域の中でその店舗しか使えない、その地域や店舗でしか働けない人もいますから、今、我々は踏ん張ってやっていかないといけないと思います。世の中からスーパーマーケットや商店が無くなったら困る人はいっぱいいるはずですから、風はアゲンストですけど、しっかり地に足をつけてやっていかないと、と思っています。自分ができることは一店舗を守ることだけですが、それをしっかりやっていきたいです。

――今日は店長の仕事に対する熱い思いを伺うことができました。ありがとうございました。

ph8.jpgあんぱん11,111個販売を達成し、充実の笑みを浮かべる

■インタビュー後記

西川店長は、人との繋がりを大切にする方だと思いました。ツイッターでは睡眠時間を削ってまで全員にリプライを返し、その後藤岡店での取引先に声を掛けて群馬県の物産フェアをやったりと、縁のあった人との関係をひじょうに大事にしているからこそ、人をまとめる店長の重責を担えているのだなと。
 また、体を通した仕事をする方だとも。藤岡でも武蔵小杉でも、まずは地域を自分の街で歩き、気付いたこと・感じたことを元にまず自分で考えやってみて、自分自身が納得したことだけをかたちにすべく動いている。店長の血肉の通った仕事だということがスタッフにもサポーターにも伝わったからこそ、1年にしてあれだけサポーターに愛されるお店になったのだと思えます。
 フロンターレも最初のJ1昇格後1年でJ2に落ち、逆境からの再スタートを切りました。流通業界も逆境の今、それをはね退けるために西川店長が次にどんな手を繰り出すのか、非常に楽しみにしています。
 店長には一日でも長く武蔵小杉駅前店にいて欲しいのですが、寝不足は体に悪いので、深夜のリプライ返しは程々で、睡眠時間はしっかり確保して下さいね。

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このインタビューは、2017年2月中旬、イトーヨーカドー武蔵小杉駅前店内にて行われました。
※文中敬称略

■[西川 晃石(にしかわ・こうせき)]
イトーヨーカドー武蔵小杉駅前店店長。日本全国10以上の店舗に勤務ののち、2015年11月、武蔵小杉駅前店に店長として着任。店内に川崎フロンターレのオフィシャルグッズショップをオープンさせ、機を見た仕掛けでサポーターを呼び込み、1年にしてサポーターの圧倒的支持を得るお店にする。武蔵小杉駅前店を地域に愛され地域に無くてはならないお店にすべく日夜奮闘中。

2017/03/13 (Mon) 21:14
【イトーヨーカドー武蔵小杉駅前店 西川店長インタビュー】(その1)

「全力でフロンターレを応援し、アンテナになって地域に拡がっていくお店に(前編)」

タワーマンションがそびえたつ街・武蔵小杉。至るところで再開発が進み周辺も工事中の中、いささか窮屈そうにその店はある。イトーヨーカドー武蔵小杉駅前店。この中に約1年前、川崎フロンターレのショップが、3ヶ月の期間限定ということでオープンした。そこがわずか1年で、フロンターレサポーターなら知らぬ者はいない、こんなにもサポーターに愛されるお店となろうとは、そのときは誰も思いもしなかったに違いない。

その仕掛け人が、ここの店長・西川晃石さん。「フロサポあんのパンまつり」を始め、大手流通の会社らしからぬユニークな店頭イベント企画を連発し、一気にサポーターの心をつかんだ西川店長に、仕事の流儀とこの場所でこの仕事に賭ける想いを伺った。

「どうしてフロンターレとタッグを組んでやるようになったのですか?」

[インタビュー・文・写真 金野 典彦]

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■Jリーグとの接点は全くなかった

――こちらに来るまでにサッカーやJリーグとの接点はあったのですか?

全くありませんでした。唯一あったとしたら、私の息子がサッカーをやっていたので、代表選をテレビで見るとかサッカーのテレビゲームをするとかで、フロンターレはもとより、Jリーグのことは全然知らない世界でした。

――こちらに赴任される前にも、いろんな地域で仕事をされて来たのですか?

全国各地、10カ所以上の店舗に勤務して来ました。イトーヨーカドーの品揃えは基本的には全国画一で、それがチェーン店の醍醐味ではありますが、地域のお客様に本当に全ての商品が支持されているかというと、地方に行けば行くほど、そうではないのが正直なところです。定番のものは売れますが、今まで「本当にこれでいいのかな」と疑問を抱きながら仕事をしてきたところはあります。

2015年の11月、ここの武蔵小杉駅前店に赴任したとき、隣にグランツリー店が出来ていたこともあり、このお店は非常に厳しい数字が続き、このまま淘汰されてもおかしくない状況に置かれていました。当初は、グランツリーで売れるものをこの店でも置く、言わばグランツリーのミニチュア版をつくろうとしていましたが、その方針に疑問を感じました。グランツリー店全体をじっくり見ると、完全にナショナルブランド中心の品揃えで、川崎の地域性が殆ど打ち出されていないことを強く感じたので、だったら地域での営業年数が長い武蔵小杉駅前店は、その逆の方針で、もっと地域に根差した品揃えに変えていこうと思いました。

ph1.jpgサポーターが気軽に立ち寄れ、親しみやすい雰囲気の店内

■群馬・藤岡店でのチャレンジ

そう考えたのには、理由があります。私が店長になったのが、ここに来る前の群馬県の藤岡店だったのですが、業績も厳しい中、全国画一というチェーンストアの弱点を無くすため、地域を見て地域に合った商品を揃えていこう、もう根底から変えて行かなければお客様の支持は得られないという思いがありました。過去のデータを見ても本当の問題点はわからないと思ったので全部自分で調べようと、店舗近隣のありとあらゆる所を歩き、それこそ商店から取引先まで、全部回りました。すると、商品の品揃えの違いや価格、売れ方の違いがあることが見えて来ました。

例えば群馬県はこんにゃくの産地で、生産量はダントツの日本一、消費量も全国2位なんです。でも実際、それまでの藤岡店ではこんにゃくは殆ど売れていませんでした。それはこの地域には種類も量も本当に様々なこんにゃくがあり、価格ももっと安いものがあるにも関わらず、ヨーカドーのセブンプレミアムなどの定番商品しか置いていなかったからです。これじゃ売れるはずもないので、地域のお店や生産者を回ってこんにゃくの品揃えを増やすところから始め、ありとあらゆるところを変えていきました。すると次第にお客様が増えて、数字にあらわれて来たんです。これが切り崩すポイントだということが自分なりにわかってきたので、それをヒントに衣食住それぞれの商品の品揃えを変えて行きました。約1年間のなかで、幸い業績も回復をしはじめました。

■青のタペストリーが目についた

川崎に来たときも、とにかくまずこの地域を知ろうと、商店街や公共施設、駅などこの地域を自分の足で歩いてみたところ、やたら青色が目に入って来たんですよね。フロンターレの青色のタペストリーだった訳ですが、「何でこんな多くの場所にこのタペストリーはあるのだろう?」とそれをきっかけにフロンターレに興味を持ちました。

店舗スタッフに聞くと、等々力競技場というスタジアムがここから近くにあり、非常に盛り上がるチームで、既に当店の地下食品売場で「かわさき応援バナナ」の取り扱いがあり、フロンターレとの付き合いはあるというじゃないですか。ならば1回試合を見てみようという訳で、2015年の11月、着任間もなかったのですが等々力に試合を観に行きました(※リーグ最終節のベガルタ仙台戦)。試合はフロンターレが勝利しましたが、勝敗よりもどれだけの人が関心を持って観に来ているのかが気になっていました。そのときの入場者数が22,000人くらいと(※公式には22,511人)、優勝がかかっている試合でもないのにこれだけの人が入っていることに驚きました。しかも、やたら熱く応援して盛り上がっている場所があるんですね。そこがGゾーンだった訳ですが、興味があったのでハーフタイムから後半の途中までGゾーンの後ろで応援の様子を見て、Gゾーンの熱さを体で感じました。スタジアム内のグッズショップにもお客さんがたくさん入り、フロンパークの飲食・物販のブースにも行列ができていたので、これだけ熱気があり人が集まるのなら、ウチのお店でグッズショップを展開できればチャンスがあるのでは?と思いました。

ph2.jpg
試合日にはタペストリーに加え、フラッグを掲げる商店街も

その後クラブと翌年にかわさき応援バナナ販売イベントの打合せがあったときに、「グッズショップをやってみたい」と提案をしましたが、近隣にオフィシャルショップの「アズーロ・ネロ」があるからと、断られてしまいました。「アズーロ・ネロ」はどんな店かとすぐに見に行くと、水色の配色が綺麗な統一感のあるお店でお客さんも入っていて、「いいな、ウチに入れたいな」と更に思ってしまいました。

■クラブとイトーヨーカドー本部へ繰り返し要望

私は、「『アズーロ・ネロ』は等々力での試合日にサポーターが寄っていくかもしれないけれど、営業時間は短く定休日もあり、駅からも近くはないので、近隣の住民が日常的に通うお店ではないでしょう。一方、近隣住民が毎日立ち寄るヨーカドーは、アズネロとはお客さんの層が違い、ライトなサポーターや、ちょっと興味はあるけど試合を観に行くほどじゃないようなお客さんを取り込めて、アズネロとうまく棲み分けができるはずですから、まずはやらせてもらえませんか」と提案しました。そして熱心なサポーターの方が後押ししてくれたこともあり、交渉の結果、約3か月の期間限定のアズーロ・ネロの出張店舗というかたちでならということで、やっと承諾を取り付けることができました。

本部の了解も取らなければなりません。商品をフロンターレから直納するなどイレギュラーなことが多く手間がかるため、本部からは「初期投資もかかるし、売れるか売れないか分からないので、やるなら催事的なもので」と言われましたが、「それではお客さんが固定化せず、効果は見込めないから、常設で」と上申しました。年間の収支計画書を提出すると「その計画の根拠が無い」と一蹴。「だったら、3ヶ月の販売テストで年間目標計画の4/1を達成したら、常設させてください」と懇願し、承諾されました。

そして昨年の3/5にオープンを迎えました。その日が等々力の開幕戦だったということもあり、多くのサポーターが来店。その後もユニフォームを中心に好調に売れ続け、結果5月上旬には3ヶ月間の目標計画を達成することができました。

それを持って本部に常設化の話を通し、クラブにも常設化の提案をしました。ヨーカドーが売れても、「アズーロ・ネロ」の売上が下がったとしたら、クラブはそれを良しとはできなかったでしょうが、結果は両方の売上が上がり、クラブとヨーカドー両方のメリットがあることが確認できたので、5月上旬、やっと常設の話が決定したのです。

常設になったことで、ヨーカドーのような全国チェーンの店がサッカーチームのグッズショップを自営で持つことが珍しいこともあり、多くのメディアが取材に来てくれました。お陰で順調に売り上げが増えて行ったのですが、落とし穴が待っていました。いちばんの売れ筋がユニフォームだったのですが、その在庫が少なくなり、品薄になってしまったのです。そうしたら売上が一気に下降してしまいました。ユニフォームは単価が高く、ショップの売上の大半を占めていました。

■自らツイッターを始める

実は、期間限定のときも常設化のときも、お店オープンの告知は全部クラブに依存し、イトーヨーカドーとしては全然やって来なかったのです。このままじゃ駄目で独自の集客告知をしなきゃと思っても、コストをかけずにできるいい方法がわからず、困ってしまいました。

そんなとき店内を見ると、お客様が店内の写真をこっそりという感じで撮っていました。小売店の店内は原則撮影禁止とされていますからね。それを見てこれは違う、とにかく興味を持ってもらうことが大事だから、逆に写真撮影をしてもらってどんどんSNSに上げて拡散してもらおうと、「ショップ内は撮影自由。SNSアップもOK」との告知を出しました。

でも思ったほどアップされずどうしたものかと考え、何かしらフォーカススポットが必要だろう思い、川崎大師・小田切商店さんの必勝ダルマを置きました。マスコットのふろん太にも来てもらってダルマに「目入れ」をすると、SNSへのアップが増え、情報が拡散していくようになっていきましたが、それも一過性で、なかなか長続きしませんでした。

それまで私はSNSは全くやって来なかったのですが、こうなったら自分でやってみようと、初めて自分でツイッターをやってみることにしました。ヨーカドー公式にしてしまうと内容が制限されて面白くないので、フロンターレサポーターに向けた非公式のもので、フロンターレの情報に特化した内容で発信することにしました。

でもなかなか拡まらず、フォロワーが全然増えない。内容を変えてツイートしても反応が返って来ない。2か月間くらい試行錯誤を続けてもうまく行かず、ちょっとこれはダメかなと思い始めたある日…

■「コムゾー」のぬいぐるみが転機に

この地域のケーブルテレビ局・イッツ・コミュニケーションズのキャラクターである「コムゾー」のぬいぐるみが新発売になったときにその告知ツイートをしたところ、情報が一気に拡散されたのです。びっくりしました。大人気で「アズーロ・ネロ」で完売してしまったとき、まだヨーカドーには残っていて、すると今度は「ヨーカドーにまだあるよ!」という情報が拡散され、「SNSの情報ってこうやって拡散していくんだ」とはじめて実感しました。それを機にツイッターでの情報の拡まり方をやっと掴めるようになりました。
以降、お店で声を掛けてくれるサポーターが増えました。しかも前向きで建設的な提案をしてくれるので、それを積極的に取り入れ、売り場に活かしていきました。当初はこのショップは自分とお店のスタッフで作っていると思っていましたが、ここはサポーターの協力を得ながら、サポーターと一緒に創っていくお店なんだなと思うように変わっていきました。

 ■サポーターに聞いて、サポーターとの距離を縮める

武蔵小杉から等々力への道がわかりにくくて迷う、という声がありました。実際自分が行ったときも、行きは大丈夫だったけど、帰りは武蔵小杉を目指していたのに新丸子に着いちゃったんです。自分も迷ったくらいだから、アウェイチームのサポーターは尚更わかりにくく迷うだろうということで、お店から等々力までの案内地図を作製しました。あの地図は、こう行けば等々力に何とか迷わずに着けるよう、自分の足で歩いてポイントらしきところを見つけながら、自分の体験を込めて作ったものです。

私のフロンターレとの関わりはまだ本当に短く、ショップの常設前に等々力に行ったのはわずか2試合でしたから、フロンターレのことは長らく等々力に通い続けているサポーターに聞く方がいいと思ったので、ツイッターでもお店ででも、サポーターからいろんな意見を聞き、それを反映させるようにしました。

ph3.jpg
西川店長の体験を反映させてつくった等々力への案内地図

後編に続く)


2017/02/18 (Sat) 16:04
ウェルカムTODOROKI宣言 ~ FOOTBALL TOGETHER~

今月発売の雑誌『フットボール批評 15』に、ひとりの在日コリアンの方を取り上げた記事が載っている。

■『フットボール批評 issue15』(カンゼン)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%89%B9%E8%A9%95issue15/dp/B01MTZPQ8R

川崎の桜本に住むこの方は、一時期川崎でも吹き荒れたヘイトスピーチの「餌食」になり、本当につらい思いをされたことが記されている。

このヘイトスピーチの事件のことは知っていたし、この方がヘイトスピーチをする団体のリーダーに対して取った、とても勇気ある行動のことも知っていた。

でも正直、同じ川崎に住んでいても自分の目の前で起こったことではなかったので、「情報」として自分の頭の片隅に収まった以上のことではなかった。

しかし記事によると、この方は等々力に何度も通って来た長年のフロンターレサポーターで、この方の心の支えになったのがフロンターレだというのだ。

自分と同じフロンターレサポーターが差別に苦しみ、クラブがその支えになってるって?
となると、事は「ひとごと」ではなく、「自分ごと」となる。

2014年、Jリーグは差別事件に揺れた。浦和の「JAPANESE ONLY」弾幕事件は他のクラブのことだったが、三ツ沢でのF・マリノス戦での「バナナ事件」で、フロンターレも差別事件に巻き込まれてしまった。

そのあと9/20に行われた等々力での多摩川クラシコのときに、クラブは「バナナは差別を象徴する道具ではなく、笑顔のくだものです。」と書いたハート型のカードを添えて、ホーム側の来場全員に当初の予定通り、ドールさんのバナナ配布をやり切った。

クラブが「差別はいけない」と踏み込んだ発信をしたことで、この方は「決してひとりではないことを実感し、自分の応援するクラブ誇らしくもあった」という(本文より)。

とりわけこの部分は、僕の心に沁みた。先月、天野部長にインタビューさせてもらったときに、天野さんも眠れないくらい悩み抜いて、でも毅然とした対応を取るべきだとバナナ配布に踏み切ったことを直接聞いていたので、クラブの勇気ある行動が、地域に暮らす人を勇気付けていることをリアルに感じられ、サポをやって来て良かったと嬉しくなった。

今、世界はどんどん分断の方向に進んでいるように見える。

アメリカはトランプ大統領となり、特定のイスラム教国の人の入国を拒否したり、メキシコとの国境に「壁」をつくろうとしたり、あまりにもバランスを欠いた、自国中心主義に舵を切っている。

日本国内でも、ヘイトスピーチしかり、子どものいじめ問題しかり、JGBTの問題しかり、ちょっとした差異が差別のもととなる風潮はなかな無くならない。

でも、だからこそ。スポーツと、地域のスポーツクラブを支えるサポーターの力を見せるときじゃないかと思う。社会の流れは急には変えられないけど、せめてスポーツの世界だけでも、差異に捉われずに誰でも見ることもやることもOK、誰でもウェルカムでありたい。

とりわけサッカーはシンプルで、「ボールひとつあれば言葉はいらない」世界。差異に捉われるのなんてバカみたい!カッコ悪!そんなことよりみんな一緒にサッカー楽しもうぜ!という感じの雰囲気を、サポーターの皆の力で創っていきたいと思っている。

トランプ大統領当選直後のタイミングで、ツイッターにこんな画像が回って来た。

no hate

なかなかイカしてるこの張り紙、気に入った。

なので、この張り紙作った方に敬意を表し、僕も我がホームスタジアム・等々力競技場に来てくれる皆さんを歓迎を持って迎えることを宣言しよう。

どんな人種でも、
どんな信教でも、
国籍がどこであっても、
出自がどこであっても、
男でも、
女でも、
レズビアンでも、
ゲイでも、
バイセクシャルでも、
トランスジェンダーでも、

他のJクラブサポはもちろん、
JFLサポも地域リーグサポも県リーグサポも、
今年ACLで戦う韓国の水原三星、中国の広州恒大、香港のイースタンSCのサポも、

どの国のどのクラブのサポでも、

サッカーが好きで、相手に対してリスペクトを持ち合わせているならば、誰でもWELCOMEだ。等々力へようこそ!

フロンターレの今期の公式戦初戦は2/22(水)、もう来週の水曜に迫っている。ACLグループリーグで、韓国の水原三星をホーム等々力に迎える。

今回の『フットボール批評』の記事を読んだ直後の試合相手が韓国のチーム、しかも今のフロンターレの守護神のチョン・ソンリョンや、かつて所属し大活躍したチョン・テセ(現・清水エスパルス)など、フロンターレに縁がある選手が所属していた水原だとは、これもまた何かの縁だ。

勝負は勝負。試合の90分はガチの戦い。僕もフロンターレの応援に声を涸らす。だけどそれ以外は、支えるクラブは違えども、同じサッカーが好きな仲間。
そんな感覚で、韓国からやって来る水原サポの方も、同胞の応援に来る在日の方も、対戦相手紹介時に相手を拍手で迎える地域貢献度6年連続No.1のクラブ・フロンターレサポの流儀を持って、にこやかに迎えたいと思う。

僕がどのくらい本気かと言うと、今年新しく作ったこのブログサイトのURLを見て察してください。

football together
川崎はユニにも”FOOTBALL TOGETHER”ですから

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2017/02/03 (Fri) 21:20
【川崎フロンターレ 天野部長インタビュー】(その3)

「『スタ宙』に書ききれなかったこと」(第3回/全3回)

[インタビュー・文・写真 金野典彦 (※天野氏近影を除く) ]

第2回から続く)

■出て行って、新しく人と知り合う

――天野さんは1月末でフロンターレを離れ、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向する訳ですが、4年間クラブを離れてまで、“一過性のお祭り”であるオリンピックに、どうして行くのでしょうか?

2002年日韓ワールドカップのときに、約1年半JAWOC(FIFAワールドカップ日本組織委員会)に出向した経験が大きい。1年半の経験の中で、自分自身が自覚できるくらい成長できた。ホント、生ぬるい環境じゃなくて。知り合ったことのない人たちと、経験したことのないことをする環境の中に身を置くことの大変さと、その中でなきゃ得られないことがあることを体感したことが大きいね。

オリンピック・パラリンピックという世界最大のスポーツイベントを創り上げる一員になりたいという気持ちもあるのだけど、それ以上に自分自身をもっと変えたい、一皮むきたいという思いの方が強い。もっといろんなことができる人間になるためには、もっと大変なことを自ら進んでやらないと大きなことを変える力は身に付かないことを、2002年に体感したから。

オリンピックのどの部署で何をやることになるかはまだ決まっていない。でも行けば、フロンターレの枠の中では知り得なかった人たちと知り会える。世界中から集まる人と会える4年間限定の“パス”を得られるメリットは絶対大きい。

■W杯出向時に僕を変えた苦い経験

日韓W杯のときに、自分の中での分岐点になるような苦い経験をしている。

JAWOC横浜支部の競技運営課・チーム対応として僕は決勝に進出したブラジル代表チームについた。決勝戦の4日前、ニッパツ三ツ沢球技場で行われた練習の際、当時ブラジル代表の中心選手として活躍していたロベルト・カルロス、リバウドから、「フリーキック練習時の壁になる人形のフリーキックボードを用意して欲しい」とリクエストされた。でもそれは三ツ沢にも横浜市内にも無くて、取りに行くならフロンターレの練習場まで行かなければならない。当時、チーム対応の仕事は過酷で、本部や運営、警察などとやり取りするために渡された携帯電話を6個も所有していた。ひっきりなしに電話はかかってくるし、その他やらなければならないことが沢山あり、睡眠時間2時間の超多忙なスケジュールの中で、精神的にもいっぱいいっぱいだった。フロンターレの練習グラウンドからフリーキックボードを持ってくることは不可能ではなかったけど、輸送用のトラックの手配やそれに伴う費用処理など考えるとロベカル、リバウドのオーダーに応えることが面倒臭くなった。実際、フリーキックボードが無かったとしても、誰かスタッフが立ったりして代用できるものもあり、対応しなくても決して支障は出ない。そう僕は踏んで「用意できませんでした」で済ませてしまった。

ところが翌日三ツ沢に行ったら、ピッチ上にそのフリーキックボードが用意されている。それは僕と一緒にタッグを組んでいたJAWOCチームリエゾンの服部君(※服部健二氏 当時FC東京所属)が手配して、FC東京のグラウンドから持ってきていた。

「やられた」と思った。

忙しさを理由に妥協して準備しなかった自分を恥じたが、その時はまだ服部君の本当の狙いに気が付いて無かったので、ちょっとバツが悪いくらいの感覚だった。

フリーキックボードを使用した練習の翌朝、ブラジル代表の宿舎内にあるリラックスルームでコーヒーを飲んでいると、服部君がドタバタしながら駆け込んできて、リラックスルーム内に置いてあるスポーツ新聞各紙を広げ始めた。そして「よしっよしっ!」とガッツポーズをしている。何事かとスポーツ新聞を覗き込んでみると、全紙一面にフリーキックをするロベカルの姿とともに《FC東京》と刻まれたフリーキックボードが写っている。そしてその写真はスポーツ新聞だけでなく、インターネット上でも全世界に配信されていた。

そう、服部君には《FC東京》と刻まれたフリーキックボードを用意すれば、それをブラジル代表選手が使用し、それをメディアが撮影し全世界に配信されるという《画》が浮かんでいた。それをしっかり実行に移したというわけ。スポーツ新聞やインターネット記事を見たFC東京サポーターはどう思うだろうか。「なぜ、《FC東京》と刻まれたフリーキックボードをブラジル代表が使ってるの?」と頭の中が「??」になるだろう。それと同時に絶対微笑み、少し誇らしい気持ちにすらなるんじゃないだろうか。

一方僕は全く考え付かず、その《画》が浮かんで来なかった。服部君はフリーキックボードを用意することで、《FC東京》の名前を広めることと、短期間にブラジル代表チームの信頼を得ることに成功した。それに引き換え僕ときたら、忙しさを理由に妥協しその《画》が浮かばないどころか、その先にあるものを考えもしなかった。その時、自分に対する強い失望感を感じたんだよね。もしその《画》が浮かんでいたら、《FC東京》じゃなく、当時J2に沈んでいた《フロンターレ》を全世界に発信することができたのに。やっていたらフロンターレサポーターの笑顔をつくることができたのにって、自分のイケてなさに今までにないくらい凹んだよ。

それ以来、物事を意識して一面だけじゃなく多面的に見る習性がついた。後ろまで見たり、俯瞰で見たり。それがその後のフロンターレでの企画に生きている。陸前高田でも、最終の《画》が見えていたから、そこに辿り着くまでどこで何をするべきかの過程が見えた。2020年のオリンピックでも同様のことがあるかもしれない。自分自身がまだまだで、それを感じて乗り越えることが大事だから、そういうことを自ら感じる機会をつくらないと。

――失敗を謙虚に受け止め、生かす力が天野さんはすごい。

これは僕の性格で、自分にしかわからない自己満足の世界だけど、自分自身に納得がいかないのは厭だからね。フロンターレは皆が協力してくれるから、もしかしたらそれに甘んじているのかもしれない。このままフロンターレにいたらこういう考え方って生まれてないとか、こういう手法は導けないとか思えるようになって、オリンピックから帰って来たいね。

■スポーツでこの国を変えるために

――天野さんは、サッカーの枠を超えたコラボイベントを仕掛けたり、JAWOCに出向して戻って来たり、ひとつの枠にとどまることを良しとせず境界を自然と超えちゃう人だと思うのですが、そういうことは意識してやっているのですか?

別に超えたいと思っているわけではなく、「この国をスポーツで変えたい」という想いでやって来た。上梓した『僕バナ』と『スタ宙』に共通して付けた副題の「スポーツでこの国を変える」が僕の目的だから、これまでフロンターレというサッカークラブで川崎でやって来たけれど、目的を達成するために今自分が何をしなきゃいけないか、どういう経験が必要かを考え、それがJAWOCへの出向であり、これから数年はオリンピックであるということ。

日本にはほとんどのものがあるけれど、唯一無いものが、「スポーツの幸せ」だとずっと思ってきた。それはこの国で、スポーツが「体育」というかたちで教育に利用されてきちゃったから。スポーツが持っているたくさんの価値の中の一部に過ぎない教育的価値の部分だけが抜き出され、「体育」として利用されたのが日本。アメリカでは「体育」=「SPORTS」ではなく、「PHYSICAL EDUCATION」と別な言葉で表されるからね。社会人スポーツも広報的価値や社員の士気高揚など、これまた限られたスポーツの持つ長所を部分的に利用され屈折しちゃってて、本来スポーツが持っている楽しみの部分が、日本の土壌ではうまく育たないままここまで来ちゃった。

だから僕はここから、「スポーツの幸せ」を味わえる土壌を創っていく。スポーツが本来持つたくさんの力を、プロスポーツクラブの運営を通じて示していく。時間もかかるしたいへんだけど、自分がスポーツのあるべきことを感じていて、それが人を幸せにできるパワーがあるなら、無いものを創っていくこの仕事ほど面白いことはない。音楽や食などは、日本の中で文化として既に認められているけれど、スポーツはまだ文化として熟成されていない。スポーツがそうなるために自分ができることがそこにあるのだから、それをやらない訳がないでしょ?

――今日は天野さんの、この仕事への深い想いを訊くことができました。ありがとうございました。

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■インタビューを終えて

特にフロンターレの社会貢献・地域貢献的側面に魅せらせて等々力に通ってきた私にとって、その先陣を切ってきた天野部長がオリンピックに出向するという知らせはかなり衝撃的でした。ならば、その理由を含め、天野部長がフロンターレにいるうちにどうしても話を聞いておきたくて申し入れ実現したのが、今回のインタビューです。

大事な時期に私の初インタビューを受け入れ、「そういうのがフロンターレらしい」と笑う“非常識”な天野さんの胆力は流石としか言いようがありません。本人曰く「ドM」な天野さんが、フロンターレで培った力を持ってして、オリンピック・パラリンピック組織委員会でどれだけ暴れてくれるのか、大いに楽しみにしています。

《天野部長著書》
■『スポーツでこの国を変えるために スタジアムの宙にしあわせの歌が響く街』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388518 
■『スポーツでこの国を変えるために 僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09840124

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『スタ宙』と『僕バナ』
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このインタビューは、2017年1月中旬、川崎フロンターレのクラブ事務所にて行われました。
※文中敬称略

■[天野 春果(あまの・はるか)]
米国・ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学び、1997年4月、富士通川崎フットボールクラブ(現川崎フロンターレ)に入社。ホームタウン推進室にてクラブが地域に浸透すべく活動。2001年から1年半、JAWOC(FIFAワールドカップ日本組織委員会)に出向し、翌年復職。以来現在まで、プロモーション部部長として、フロンターレが地域に愛されるべく「常識の斜め上を行く」ユニークなアイデア満載のイベント・プロモーションを打ち続け、ホーム等々力競技場の来場者数アップに貢献してきたJリーグ屈指のアイデアパーソン。2017年2月より、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向する。愛称は「あまのっち」または「天野乙」。

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■インタビュー・文・写真 [金野 典彦(こんの・のりひこ)]
2011年4月23日、東日本大震災により中断を経たJリーグ再開のベガルタ戦@等々力がフロンターレの公式戦初観戦。以来それがデフォルトとなる。等々力競技場の近くの街に住む川崎サポ。どこのサポでも基本ウェルカム。フロンターレというクラブの「ありよう」に共感を覚えサポーターを続けている。「サッカー×街×人」をテーマにホーム川崎を中心に活動し、写真と言葉で伝えるべく奮闘中。出版社勤務。

テーマ : Jリーグ - ジャンル : スポーツ

2017/02/01 (Wed) 20:21
【川崎フロンターレ 天野部長インタビュー】(その2)

「『スタ宙』に書ききれなかったこと」(第2回/全3回)

[インタビュー・文・写真 金野典彦]

第1回から続く)

■ヨシトの言葉が嬉しかった - 高田スマイルフェス

――陸前高田について伺います。天野さんがフロンターレで20年間やってきた歴代プロモーション中でのNo.1が、昨年7月に岩手県陸前高田市で行った「高田スマイルフェス2016」。私も開催前年の秋に陸前高田を訪れ、会場となる上長部グラウンドにも行きました。そのときのピッチは芝が全然生え揃わずデコボコで、正直これじゃJ1のトップチームが試合をやるなんて絶対無理だと思いました。それが、当日会場に行ったら、青々とした芝が綺麗に生えていて、ちゃんとしたピッチができていることに感動を覚えたのですが。

当日、芝は青々としてはいたけど、部分的には抜けているところもあって、実はすごく不安だった。「芝は完璧にするから」と言って社内を説得した手前、強化部のクラブスタッフに指摘されたら何て言えばいいのか、気が気じゃなかった。芝の育成管理をしてくれた「芝生の神様」こと松本栄一さんや陸前高田の方たちが、100%以上の力を出してあそこまでグラウンドを仕上げてくれたことを知っていてそれを否定されたくもなかったから、どうやったらその方たちの努力を守り、試合ができるように導けるのか、すごく悩んでいた。

ところが、選手が来てピッチを見たときに、大久保嘉人(以下、ヨシト/現・FC東京)が「凄いよ!あれがここまでになったんでしょ。天野さん、胸張っていいよ」って言ってくれたんだよ。ヨシトは開催2年前の2014年末に荒れ果てたあのグラウンドを見てたからね。「もし、芝について誰か文句言って来たら、俺が言うよ」とまで言ってくれてさ。あの一言はホント涙が出るほど嬉しかったし、勇気付けられたなあ。

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芝が生え揃った当日のピッチ

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開催前年10月のピッチ。芝がまだらで土が見えている部分もあった

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サイン会でヨシトはひとりひとり丁寧に応対

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J1のプロ選手が緑のピッチで躍動した

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ハーフタイムにはナオト・インティライミさんも練習参加

2014年の12月に、サッカー教室をやるために選手を陸前高田に連れて行ったときに、「サッカー教室をやる予定の場所」という名目で、ヨシト含めた選手を上長部グラウンドにも連れて行きボールを蹴ってもらったのだけど、結果的にはそれが良かった。このときは中村憲剛(以下、ケンゴ)が怪我で行けなくて、絶大な影響力のあるケンゴが事前にグラウンドを見ていなかったことも不安だったから、ヨシトの「ここまでのグラウンドを作ってくれたんだから、やるよ!」の言葉には心震えた。

現場に行ったことがあるかないかでは人の理解は全然違うから、やっぱり現場に行くことが大事。選手が事前にグラウンドを見ていなかったらこうは行かなかったと思う。事前に見せていたから、プラスの変化を選手が理解してくれたし、みんなで一緒にこのイベントを成功させようぜという空気を前から作れていたことも大きかったよね。

――結局、陸前高田には何回行ったのですか?

何回行ったんだろう?あまりにもいっぱい行ったんで覚えてないや。昨年11月にスマイルフェス以来4ヶ月振りに陸前高田に行ったけど、「故郷に帰って来た」という感覚で、ホッとするところがあったね。

そう言えば、ナオト・インティライミさんがライブで「2階席ー!」と呼んでいた、崖の上で観戦していた方たちが、フェス終了後もそこでビールサーバーを持ち込んだりして“後夜祭”をやっていたんだって。崖の上に住んでいる人たちは、震災後に移転してあの場所に住み始めていて、昔からの深い近所付き合いがある関係ではなかったようだから、スマイルフェスがその方たちの交流のきかっけになれたようで、良かったよね。

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横断幕のかかる崖の上が「2階席」

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「2階席」は会場全体が見渡せる絶好の観戦場所

■スマイルフェスは、自分に課した“試験”だった

――様々な大きな企画を実行してきた天野さんですが、高田スマイルフェスに注ぎ込んだエネルギーの量、熱量は尋常ではなかったと思います。何であそこまで、スマイルフェスに入れ込めたのですか?

僕にとって、スマイルフェスと宇宙強大の2大イベントをやり切ることは、自分の中で自分に課した“試験”だった。翌年からオリンピックでフロンターレを離れることを心の中で決めていたから、もし自分が納得いくかたちでやり切れないんだったら、クラブを離れる資格はないと思っていた。

フロンターレはようやく創立20年になったけど、正直まだまだで、これからの5年がすごく大事な期間になる。ハードの部分では等々力のメインスタンドが2015年に完成して、これからスタジアム周辺整備に加え、サイドスタンド・バックスタンドの二期工事に入って行く。その状況で自分が抜ける責任は大きいから、自分がこれをやりきったと思えなかったら抜けるべきじゃないと思っていた。スマイルフェスと宇宙強大の2つを同年にやり切るのは尋常じゃなかったけれど、それくらいのことをやり切れるくらいの人間じゃないと、新たなところでは戦えないと思った。オリンピックに行けば新たな障壁があるのはわかっているから、2つをやり切ることでそれを越えて行ける自信を得たかった。

■現場に足を運び、付き合い続けたからこそ

それにしても高田スマイルフェスの壁は高かった。被災地という心に大きな傷を負った人たちが暮らす土地であり、川崎から400㎞も離れている場所の人たちと協働していくことは、最初本当にたいへんだった。

震災からまだ1ヶ月しか経っていない2011年の4月に、算数ドリルを届けに現地に行って、現場の状況を体感したことが良かった。あのときの風景は今でも鮮明に覚えている。それからサッカー教室やかわさき修学旅行などで陸前高田と付き合い続けたことで、一方的な支援には限界があることを早いうちに察知できた。街に大事なのは活気だから、街を元気にしていくために協定を結んで、お互いが汗をかく「相互支援」のかたちに持って行けたことは大きかった。

400km離れた陸前高田との関係を通して、「ホームタウン」という概念を改めて考えさせられた。「ホームタウン」というと自分の住む街になるけど、フロンターレのような活動を続ければ、日本全体が「ホームタウン」となり得るんじゃないかって。

だから、Jリーグのクラブすべてが、もっと「スポーツの力」を意識して欲しい。そのためには前例が必要で、フロンターレはそれをやれるだけのパワーがあり、更に発展させられるポテンシャルも持っていると思う。ホームタウンやサポーターの気質もあるけど、クラブが何を目指しているかの方向性を示せば、それに共感する人たちが集まってくるので、クラブがどう人を導くかが大事になる。他のクラブで言えば、例えば松本山雅はみんなで街のクラブ・街のものを大事にして共に発展していこうという、フロンターレに近いものを感じるね。

■選手や強化部の理解も大きい

クラブが目指すべきところは街の幸せで、街が幸せになるためにクラブは存在する。勝利は街の幸せを促進させるという「目的」のための「手段」で、これを勘違いしてはいけない。だからクラブが街の人に愛されるために、勝利以外の活動も必要なことを、強化部にも理解してもらう努力を僕は続けて来た。強化部には、勝ってなおかつそのことを理解できる人材が必要で、フロンターレはGMが長らく変わっていないことは大きい。監督・キャプテンという鍵となる人間も同様だね。

選手会長の理解も大きい。伊藤宏樹(現・強化部スカウト)はもちろんだけど、僕がフロンターレに入社した1997年に中西哲生さん(以下、哲さん/現・クラブ特命大使)が入団したのも大きかった。当時、まだ選手会長って名前で活動はしていなかったけど、最初に地域貢献活動の話ができたのは哲さんで、クラブ創設当初の時代から、サンタクロースの格好をしたり、名刺を持って商店街の会長に挨拶するなどの行動をしたことは画期的だった。哲さんが、以降のフロンターレの選手の地域貢献・社会貢献のベースをつくってくれたことには本当に感謝している。

キャプテンと言えばケンゴ。ケンゴは僕の良き理解者でありクラブを一緒に創って来た“同志”だから、このタイミングでケンゴと離れるのは正直ツラい。ケンゴの現役選手生命が長く残っている訳じゃないことは自分もケンゴもわかっているし、自分がクラブを離れていたら、タイトル獲っても一緒に獲ったという感覚にはなれないからね。だからケンゴと共に在籍できる昨シーズン、僕はタイトルへの想いはホント強かった。まっ、ケンゴには僕が戻ってくる4年後まで引退しないようにと伝えたけどね。

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高田スマイルフェスでサインをするケンゴ

第3回に続く)

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