2017/02/18 (Sat) 16:04
ウェルカムTODOROKI宣言 ~ FOOTBALL TOGETHER~

今月発売の雑誌『フットボール批評 15』に、ひとりの在日コリアンの方を取り上げた記事が載っている。

■『フットボール批評 issue15』(カンゼン)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%89%B9%E8%A9%95issue15/dp/B01MTZPQ8R

川崎の桜本に住むこの方は、一時期川崎でも吹き荒れたヘイトスピーチの「餌食」になり、本当につらい思いをされたことが記されている。

このヘイトスピーチの事件のことは知っていたし、この方がヘイトスピーチをする団体のリーダーに対して取った、とても勇気ある行動のことも知っていた。

でも正直、同じ川崎に住んでいても自分の目の前で起こったことではなかったので、「情報」として自分の頭の片隅に収まった以上のことではなかった。

しかし記事によると、この方は等々力に何度も通って来た長年のフロンターレサポーターで、この方の心の支えになったのがフロンターレだというのだ。

自分と同じフロンターレサポーターが差別に苦しみ、クラブがその支えになってるって?
となると、事は「ひとごと」ではなく、「自分ごと」となる。

2014年、Jリーグは差別事件に揺れた。浦和の「JAPANESE ONLY」弾幕事件は他のクラブのことだったが、三ツ沢でのF・マリノス戦での「バナナ事件」で、フロンターレも差別事件に巻き込まれてしまった。

そのあと9/20に行われた等々力での多摩川クラシコのときに、クラブは「バナナは差別を象徴する道具ではなく、笑顔のくだものです。」と書いたハート型のカードを添えて、ホーム側の来場全員に当初の予定通り、ドールさんのバナナ配布をやり切った。

クラブが「差別はいけない」と踏み込んだ発信をしたことで、この方は「決してひとりではないことを実感し、自分の応援するクラブ誇らしくもあった」という(本文より)。

とりわけこの部分は、僕の心に沁みた。先月、天野部長にインタビューさせてもらったときに、天野さんも眠れないくらい悩み抜いて、でも毅然とした対応を取るべきだとバナナ配布に踏み切ったことを直接聞いていたので、クラブの勇気ある行動が、地域に暮らす人を勇気付けていることをリアルに感じられ、サポをやって来て良かったと嬉しくなった。

今、世界はどんどん分断の方向に進んでいるように見える。

アメリカはトランプ大統領となり、特定のイスラム教国の人の入国を拒否したり、メキシコとの国境に「壁」をつくろうとしたり、あまりにもバランスを欠いた、自国中心主義に舵を切っている。

日本国内でも、ヘイトスピーチしかり、子どものいじめ問題しかり、JGBTの問題しかり、ちょっとした差異が差別のもととなる風潮はなかな無くならない。

でも、だからこそ。スポーツと、地域のスポーツクラブを支えるサポーターの力を見せるときじゃないかと思う。社会の流れは急には変えられないけど、せめてスポーツの世界だけでも、差異に捉われずに誰でも見ることもやることもOK、誰でもウェルカムでありたい。

とりわけサッカーはシンプルで、「ボールひとつあれば言葉はいらない」世界。差異に捉われるのなんてバカみたい!カッコ悪!そんなことよりみんな一緒にサッカー楽しもうぜ!という感じの雰囲気を、サポーターの皆の力で創っていきたいと思っている。

トランプ大統領当選直後のタイミングで、ツイッターにこんな画像が回って来た。

no hate

なかなかイカしてるこの張り紙、気に入った。

なので、この張り紙作った方に敬意を表し、僕も我がホームスタジアム・等々力競技場に来てくれる皆さんを歓迎を持って迎えることを宣言しよう。

どんな人種でも、
どんな信教でも、
国籍がどこであっても、
出自がどこであっても、
男でも、
女でも、
レズビアンでも、
ゲイでも、
バイセクシャルでも、
トランスジェンダーでも、

他のJクラブサポはもちろん、
JFLサポも地域リーグサポも県リーグサポも、
今年ACLで戦う韓国の水原三星、中国の広州恒大、香港のイースタンSCのサポも、

どの国のどのクラブのサポでも、

サッカーが好きで、相手に対してリスペクトを持ち合わせているならば、誰でもWELCOMEだ。等々力へようこそ!

フロンターレの今期の公式戦初戦は2/22(水)、もう来週の水曜に迫っている。ACLグループリーグで、韓国の水原三星をホーム等々力に迎える。

今回の『フットボール批評』の記事を読んだ直後の試合相手が韓国のチーム、しかも今のフロンターレの守護神のチョン・ソンリョンや、かつて所属し大活躍したチョン・テセ(現・清水エスパルス)など、フロンターレに縁がある選手が所属していた水原だとは、これもまた何かの縁だ。

勝負は勝負。試合の90分はガチの戦い。僕もフロンターレの応援に声を涸らす。だけどそれ以外は、支えるクラブは違えども、同じサッカーが好きな仲間。
そんな感覚で、韓国からやって来る水原サポの方も、同胞の応援に来る在日の方も、対戦相手紹介時に相手を拍手で迎える地域貢献度6年連続No.1のクラブ・フロンターレサポの流儀を持って、にこやかに迎えたいと思う。

僕がどのくらい本気かと言うと、今年新しく作ったこのブログサイトのURLを見て察してください。

football together
川崎はユニにも”FOOTBALL TOGETHER”ですから

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2017/02/03 (Fri) 21:20
【川崎フロンターレ 天野部長インタビュー】(その3)

「『スタ宙』に書ききれなかったこと」(第3回/全3回)

[インタビュー・文・写真 金野典彦 (※天野氏近影を除く) ]

第2回から続く)

■出て行って、新しく人と知り合う

――天野さんは1月末でフロンターレを離れ、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向する訳ですが、4年間クラブを離れてまで、“一過性のお祭り”であるオリンピックに、どうして行くのでしょうか?

2002年日韓ワールドカップのときに、約1年半JAWOC(FIFAワールドカップ日本組織委員会)に出向した経験が大きい。1年半の経験の中で、自分自身が自覚できるくらい成長できた。ホント、生ぬるい環境じゃなくて。知り合ったことのない人たちと、経験したことのないことをする環境の中に身を置くことの大変さと、その中でなきゃ得られないことがあることを体感したことが大きいね。

オリンピック・パラリンピックという世界最大のスポーツイベントを創り上げる一員になりたいという気持ちもあるのだけど、それ以上に自分自身をもっと変えたい、一皮むきたいという思いの方が強い。もっといろんなことができる人間になるためには、もっと大変なことを自ら進んでやらないと大きなことを変える力は身に付かないことを、2002年に体感したから。

オリンピックのどの部署で何をやることになるかはまだ決まっていない。でも行けば、フロンターレの枠の中では知り得なかった人たちと知り会える。世界中から集まる人と会える4年間限定の“パス”を得られるメリットは絶対大きい。

■W杯出向時に僕を変えた苦い経験

日韓W杯のときに、自分の中での分岐点になるような苦い経験をしている。

JAWOC横浜支部の競技運営課・チーム対応として僕は決勝に進出したブラジル代表チームについた。決勝戦の4日前、ニッパツ三ツ沢球技場で行われた練習の際、当時ブラジル代表の中心選手として活躍していたロベルト・カルロス、リバウドから、「フリーキック練習時の壁になる人形のフリーキックボードを用意して欲しい」とリクエストされた。でもそれは三ツ沢にも横浜市内にも無くて、取りに行くならフロンターレの練習場まで行かなければならない。当時、チーム対応の仕事は過酷で、本部や運営、警察などとやり取りするために渡された携帯電話を6個も所有していた。ひっきりなしに電話はかかってくるし、その他やらなければならないことが沢山あり、睡眠時間2時間の超多忙なスケジュールの中で、精神的にもいっぱいいっぱいだった。フロンターレの練習グラウンドからフリーキックボードを持ってくることは不可能ではなかったけど、輸送用のトラックの手配やそれに伴う費用処理など考えるとロベカル、リバウドのオーダーに応えることが面倒臭くなった。実際、フリーキックボードが無かったとしても、誰かスタッフが立ったりして代用できるものもあり、対応しなくても決して支障は出ない。そう僕は踏んで「用意できませんでした」で済ませてしまった。

ところが翌日三ツ沢に行ったら、ピッチ上にそのフリーキックボードが用意されている。それは僕と一緒にタッグを組んでいたJAWOCチームリエゾンの服部君(※服部健二氏 当時FC東京所属)が手配して、FC東京のグラウンドから持ってきていた。

「やられた」と思った。

忙しさを理由に妥協して準備しなかった自分を恥じたが、その時はまだ服部君の本当の狙いに気が付いて無かったので、ちょっとバツが悪いくらいの感覚だった。

フリーキックボードを使用した練習の翌朝、ブラジル代表の宿舎内にあるリラックスルームでコーヒーを飲んでいると、服部君がドタバタしながら駆け込んできて、リラックスルーム内に置いてあるスポーツ新聞各紙を広げ始めた。そして「よしっよしっ!」とガッツポーズをしている。何事かとスポーツ新聞を覗き込んでみると、全紙一面にフリーキックをするロベカルの姿とともに《FC東京》と刻まれたフリーキックボードが写っている。そしてその写真はスポーツ新聞だけでなく、インターネット上でも全世界に配信されていた。

そう、服部君には《FC東京》と刻まれたフリーキックボードを用意すれば、それをブラジル代表選手が使用し、それをメディアが撮影し全世界に配信されるという《画》が浮かんでいた。それをしっかり実行に移したというわけ。スポーツ新聞やインターネット記事を見たFC東京サポーターはどう思うだろうか。「なぜ、《FC東京》と刻まれたフリーキックボードをブラジル代表が使ってるの?」と頭の中が「??」になるだろう。それと同時に絶対微笑み、少し誇らしい気持ちにすらなるんじゃないだろうか。

一方僕は全く考え付かず、その《画》が浮かんで来なかった。服部君はフリーキックボードを用意することで、《FC東京》の名前を広めることと、短期間にブラジル代表チームの信頼を得ることに成功した。それに引き換え僕ときたら、忙しさを理由に妥協しその《画》が浮かばないどころか、その先にあるものを考えもしなかった。その時、自分に対する強い失望感を感じたんだよね。もしその《画》が浮かんでいたら、《FC東京》じゃなく、当時J2に沈んでいた《フロンターレ》を全世界に発信することができたのに。やっていたらフロンターレサポーターの笑顔をつくることができたのにって、自分のイケてなさに今までにないくらい凹んだよ。

それ以来、物事を意識して一面だけじゃなく多面的に見る習性がついた。後ろまで見たり、俯瞰で見たり。それがその後のフロンターレでの企画に生きている。陸前高田でも、最終の《画》が見えていたから、そこに辿り着くまでどこで何をするべきかの過程が見えた。2020年のオリンピックでも同様のことがあるかもしれない。自分自身がまだまだで、それを感じて乗り越えることが大事だから、そういうことを自ら感じる機会をつくらないと。

――失敗を謙虚に受け止め、生かす力が天野さんはすごい。

これは僕の性格で、自分にしかわからない自己満足の世界だけど、自分自身に納得がいかないのは厭だからね。フロンターレは皆が協力してくれるから、もしかしたらそれに甘んじているのかもしれない。このままフロンターレにいたらこういう考え方って生まれてないとか、こういう手法は導けないとか思えるようになって、オリンピックから帰って来たいね。

■スポーツでこの国を変えるために

――天野さんは、サッカーの枠を超えたコラボイベントを仕掛けたり、JAWOCに出向して戻って来たり、ひとつの枠にとどまることを良しとせず境界を自然と超えちゃう人だと思うのですが、そういうことは意識してやっているのですか?

別に超えたいと思っているわけではなく、「この国をスポーツで変えたい」という想いでやって来た。上梓した『僕バナ』と『スタ宙』に共通して付けた副題の「スポーツでこの国を変える」が僕の目的だから、これまでフロンターレというサッカークラブで川崎でやって来たけれど、目的を達成するために今自分が何をしなきゃいけないか、どういう経験が必要かを考え、それがJAWOCへの出向であり、これから数年はオリンピックであるということ。

日本にはほとんどのものがあるけれど、唯一無いものが、「スポーツの幸せ」だとずっと思ってきた。それはこの国で、スポーツが「体育」というかたちで教育に利用されてきちゃったから。スポーツが持っているたくさんの価値の中の一部に過ぎない教育的価値の部分だけが抜き出され、「体育」として利用されたのが日本。アメリカでは「体育」=「SPORTS」ではなく、「PHYSICAL EDUCATION」と別な言葉で表されるからね。社会人スポーツも広報的価値や社員の士気高揚など、これまた限られたスポーツの持つ長所を部分的に利用され屈折しちゃってて、本来スポーツが持っている楽しみの部分が、日本の土壌ではうまく育たないままここまで来ちゃった。

だから僕はここから、「スポーツの幸せ」を味わえる土壌を創っていく。スポーツが本来持つたくさんの力を、プロスポーツクラブの運営を通じて示していく。時間もかかるしたいへんだけど、自分がスポーツのあるべきことを感じていて、それが人を幸せにできるパワーがあるなら、無いものを創っていくこの仕事ほど面白いことはない。音楽や食などは、日本の中で文化として既に認められているけれど、スポーツはまだ文化として熟成されていない。スポーツがそうなるために自分ができることがそこにあるのだから、それをやらない訳がないでしょ?

――今日は天野さんの、この仕事への深い想いを訊くことができました。ありがとうございました。

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■インタビューを終えて

特にフロンターレの社会貢献・地域貢献的側面に魅せらせて等々力に通ってきた私にとって、その先陣を切ってきた天野部長がオリンピックに出向するという知らせはかなり衝撃的でした。ならば、その理由を含め、天野部長がフロンターレにいるうちにどうしても話を聞いておきたくて申し入れ実現したのが、今回のインタビューです。

大事な時期に私の初インタビューを受け入れ、「そういうのがフロンターレらしい」と笑う“非常識”な天野さんの胆力は流石としか言いようがありません。本人曰く「ドM」な天野さんが、フロンターレで培った力を持ってして、オリンピック・パラリンピック組織委員会でどれだけ暴れてくれるのか、大いに楽しみにしています。

《天野部長著書》
■『スポーツでこの国を変えるために スタジアムの宙にしあわせの歌が響く街』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09388518 
■『スポーツでこの国を変えるために 僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』
https://www.shogakukan.co.jp/books/09840124

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『スタ宙』と『僕バナ』
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このインタビューは、2017年1月中旬、川崎フロンターレのクラブ事務所にて行われました。
※文中敬称略

■[天野 春果(あまの・はるか)]
米国・ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学び、1997年4月、富士通川崎フットボールクラブ(現川崎フロンターレ)に入社。ホームタウン推進室にてクラブが地域に浸透すべく活動。2001年から1年半、JAWOC(FIFAワールドカップ日本組織委員会)に出向し、翌年復職。以来現在まで、プロモーション部部長として、フロンターレが地域に愛されるべく「常識の斜め上を行く」ユニークなアイデア満載のイベント・プロモーションを打ち続け、ホーム等々力競技場の来場者数アップに貢献してきたJリーグ屈指のアイデアパーソン。2017年2月より、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向する。愛称は「あまのっち」または「天野乙」。

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■インタビュー・文・写真 [金野 典彦(こんの・のりひこ)]
2011年4月23日、東日本大震災により中断を経たJリーグ再開のベガルタ戦@等々力がフロンターレの公式戦初観戦。以来それがデフォルトとなる。等々力競技場の近くの街に住む川崎サポ。どこのサポでも基本ウェルカム。フロンターレというクラブの「ありよう」に共感を覚えサポーターを続けている。「サッカー×街×人」をテーマにホーム川崎を中心に活動し、写真と言葉で伝えるべく奮闘中。出版社勤務。

テーマ : Jリーグ - ジャンル : スポーツ

2017/02/01 (Wed) 20:21
【川崎フロンターレ 天野部長インタビュー】(その2)

「『スタ宙』に書ききれなかったこと」(第2回/全3回)

[インタビュー・文・写真 金野典彦]

第1回から続く)

■ヨシトの言葉が嬉しかった - 高田スマイルフェス

――陸前高田について伺います。天野さんがフロンターレで20年間やってきた歴代プロモーション中でのNo.1が、昨年7月に岩手県陸前高田市で行った「高田スマイルフェス2016」。私も開催前年の秋に陸前高田を訪れ、会場となる上長部グラウンドにも行きました。そのときのピッチは芝が全然生え揃わずデコボコで、正直これじゃJ1のトップチームが試合をやるなんて絶対無理だと思いました。それが、当日会場に行ったら、青々とした芝が綺麗に生えていて、ちゃんとしたピッチができていることに感動を覚えたのですが。

当日、芝は青々としてはいたけど、部分的には抜けているところもあって、実はすごく不安だった。「芝は完璧にするから」と言って社内を説得した手前、強化部のクラブスタッフに指摘されたら何て言えばいいのか、気が気じゃなかった。芝の育成管理をしてくれた「芝生の神様」こと松本栄一さんや陸前高田の方たちが、100%以上の力を出してあそこまでグラウンドを仕上げてくれたことを知っていてそれを否定されたくもなかったから、どうやったらその方たちの努力を守り、試合ができるように導けるのか、すごく悩んでいた。

ところが、選手が来てピッチを見たときに、大久保嘉人(以下、ヨシト/現・FC東京)が「凄いよ!あれがここまでになったんでしょ。天野さん、胸張っていいよ」って言ってくれたんだよ。ヨシトは開催2年前の2014年末に荒れ果てたあのグラウンドを見てたからね。「もし、芝について誰か文句言って来たら、俺が言うよ」とまで言ってくれてさ。あの一言はホント涙が出るほど嬉しかったし、勇気付けられたなあ。

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芝が生え揃った当日のピッチ

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開催前年10月のピッチ。芝がまだらで土が見えている部分もあった

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サイン会でヨシトはひとりひとり丁寧に応対

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J1のプロ選手が緑のピッチで躍動した

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ハーフタイムにはナオト・インティライミさんも練習参加

2014年の12月に、サッカー教室をやるために選手を陸前高田に連れて行ったときに、「サッカー教室をやる予定の場所」という名目で、ヨシト含めた選手を上長部グラウンドにも連れて行きボールを蹴ってもらったのだけど、結果的にはそれが良かった。このときは中村憲剛(以下、ケンゴ)が怪我で行けなくて、絶大な影響力のあるケンゴが事前にグラウンドを見ていなかったことも不安だったから、ヨシトの「ここまでのグラウンドを作ってくれたんだから、やるよ!」の言葉には心震えた。

現場に行ったことがあるかないかでは人の理解は全然違うから、やっぱり現場に行くことが大事。選手が事前にグラウンドを見ていなかったらこうは行かなかったと思う。事前に見せていたから、プラスの変化を選手が理解してくれたし、みんなで一緒にこのイベントを成功させようぜという空気を前から作れていたことも大きかったよね。

――結局、陸前高田には何回行ったのですか?

何回行ったんだろう?あまりにもいっぱい行ったんで覚えてないや。昨年11月にスマイルフェス以来4ヶ月振りに陸前高田に行ったけど、「故郷に帰って来た」という感覚で、ホッとするところがあったね。

そう言えば、ナオト・インティライミさんがライブで「2階席ー!」と呼んでいた、崖の上で観戦していた方たちが、フェス終了後もそこでビールサーバーを持ち込んだりして“後夜祭”をやっていたんだって。崖の上に住んでいる人たちは、震災後に移転してあの場所に住み始めていて、昔からの深い近所付き合いがある関係ではなかったようだから、スマイルフェスがその方たちの交流のきかっけになれたようで、良かったよね。

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横断幕のかかる崖の上が「2階席」

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「2階席」は会場全体が見渡せる絶好の観戦場所

■スマイルフェスは、自分に課した“試験”だった

――様々な大きな企画を実行してきた天野さんですが、高田スマイルフェスに注ぎ込んだエネルギーの量、熱量は尋常ではなかったと思います。何であそこまで、スマイルフェスに入れ込めたのですか?

僕にとって、スマイルフェスと宇宙強大の2大イベントをやり切ることは、自分の中で自分に課した“試験”だった。翌年からオリンピックでフロンターレを離れることを心の中で決めていたから、もし自分が納得いくかたちでやり切れないんだったら、クラブを離れる資格はないと思っていた。

フロンターレはようやく創立20年になったけど、正直まだまだで、これからの5年がすごく大事な期間になる。ハードの部分では等々力のメインスタンドが2015年に完成して、これからスタジアム周辺整備に加え、サイドスタンド・バックスタンドの二期工事に入って行く。その状況で自分が抜ける責任は大きいから、自分がこれをやりきったと思えなかったら抜けるべきじゃないと思っていた。スマイルフェスと宇宙強大の2つを同年にやり切るのは尋常じゃなかったけれど、それくらいのことをやり切れるくらいの人間じゃないと、新たなところでは戦えないと思った。オリンピックに行けば新たな障壁があるのはわかっているから、2つをやり切ることでそれを越えて行ける自信を得たかった。

■現場に足を運び、付き合い続けたからこそ

それにしても高田スマイルフェスの壁は高かった。被災地という心に大きな傷を負った人たちが暮らす土地であり、川崎から400㎞も離れている場所の人たちと協働していくことは、最初本当にたいへんだった。

震災からまだ1ヶ月しか経っていない2011年の4月に、算数ドリルを届けに現地に行って、現場の状況を体感したことが良かった。あのときの風景は今でも鮮明に覚えている。それからサッカー教室やかわさき修学旅行などで陸前高田と付き合い続けたことで、一方的な支援には限界があることを早いうちに察知できた。街に大事なのは活気だから、街を元気にしていくために協定を結んで、お互いが汗をかく「相互支援」のかたちに持って行けたことは大きかった。

400km離れた陸前高田との関係を通して、「ホームタウン」という概念を改めて考えさせられた。「ホームタウン」というと自分の住む街になるけど、フロンターレのような活動を続ければ、日本全体が「ホームタウン」となり得るんじゃないかって。

だから、Jリーグのクラブすべてが、もっと「スポーツの力」を意識して欲しい。そのためには前例が必要で、フロンターレはそれをやれるだけのパワーがあり、更に発展させられるポテンシャルも持っていると思う。ホームタウンやサポーターの気質もあるけど、クラブが何を目指しているかの方向性を示せば、それに共感する人たちが集まってくるので、クラブがどう人を導くかが大事になる。他のクラブで言えば、例えば松本山雅はみんなで街のクラブ・街のものを大事にして共に発展していこうという、フロンターレに近いものを感じるね。

■選手や強化部の理解も大きい

クラブが目指すべきところは街の幸せで、街が幸せになるためにクラブは存在する。勝利は街の幸せを促進させるという「目的」のための「手段」で、これを勘違いしてはいけない。だからクラブが街の人に愛されるために、勝利以外の活動も必要なことを、強化部にも理解してもらう努力を僕は続けて来た。強化部には、勝ってなおかつそのことを理解できる人材が必要で、フロンターレはGMが長らく変わっていないことは大きい。監督・キャプテンという鍵となる人間も同様だね。

選手会長の理解も大きい。伊藤宏樹(現・強化部スカウト)はもちろんだけど、僕がフロンターレに入社した1997年に中西哲生さん(以下、哲さん/現・クラブ特命大使)が入団したのも大きかった。当時、まだ選手会長って名前で活動はしていなかったけど、最初に地域貢献活動の話ができたのは哲さんで、クラブ創設当初の時代から、サンタクロースの格好をしたり、名刺を持って商店街の会長に挨拶するなどの行動をしたことは画期的だった。哲さんが、以降のフロンターレの選手の地域貢献・社会貢献のベースをつくってくれたことには本当に感謝している。

キャプテンと言えばケンゴ。ケンゴは僕の良き理解者でありクラブを一緒に創って来た“同志”だから、このタイミングでケンゴと離れるのは正直ツラい。ケンゴの現役選手生命が長く残っている訳じゃないことは自分もケンゴもわかっているし、自分がクラブを離れていたら、タイトル獲っても一緒に獲ったという感覚にはなれないからね。だからケンゴと共に在籍できる昨シーズン、僕はタイトルへの想いはホント強かった。まっ、ケンゴには僕が戻ってくる4年後まで引退しないようにと伝えたけどね。

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高田スマイルフェスでサインをするケンゴ

第3回に続く)

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